2018/04/09

アルコール依存症 回復事例(45歳・男性・元メーカー勤務) 

プロフィール

元々体育会系の部活にいたこと、大学時代は飲みが激しいサークルに所属していたことも有り、一般の人と比べ、かなりの量を飲む人間でした。

父親はいわゆるのんべぇで、「絶対にこうなりたくない」と思っていたのですが、大学時代の経験と、社会人になったとのストレスが原因で、自分も父親と同じような量・頻度でお酒を飲むようになっていました。

 

 

 

依存症になるきっかけ

会社のある飲み会で、元々仲があまりよくない社員と口論になりました。

年齢が上がるに連れて増えていく仕事量・責任の重さと、家庭でもあまり妻や娘とのコミュニケーションがうまくいっておらず、強いストレスを感じていた中での出来事でした。

お酒が相当入っていたことも有り、私は我慢できず、暴力を振るってしまいました。

 

翌日、会社に行くことが怖くなり、会社を無断で休み家にも帰らず、ビジネスホテルを転々としていました。 しかしその生活をずっと続けられるはずもなく、最終的には会社にいって謝罪しましたが、懲戒免職となってしまいました。

 

その後、自分の中で何かが切れてしまい、職探しもせず朝から晩までのみ続ける生活をしていました。

 

 

 

底付き体験

自分の人生になんの希望も見いだせずにいました。

 

恥ずかしい話なのですが、自分では記憶がないうちに、自宅の壁を壊したり妻や娘に暴力をふるっていました。

お酒がなくなると妻や高校生の娘に酒を「酒を買ってこい!!」とどなりつけていました。

家族は私のことを恥ずかしく思い、誰にも相談できずにいて、辛い思いをしていたと思います。

 

ずっと我慢をし続けていた家族ですが、私が飲酒運転で近所の壁に突っ込んで警察沙汰になったしまったときは、ついに妻も許してくれませんでした。

離婚届をつきつけられ、妻と娘は妻の実家に帰ってしまいました。

 

それが辛く、更に酒を飲む生活を続けていました。

ついに生活保護を受け、そのお金もすぐにお酒に使ってしまい、実家の母親に「金を送れ!」といってまた飲んでしまいお金がなくなる、というどうしようもない生活でした。

 

「どうしてこんな生き方しかできないのだろう」とある夜ふと思い、妻と娘が出ていった時の光景が鮮明に浮かんできました。 娘は目にいっぱい涙をためていました。

 

その日は涙がとまらず、朝まで泣いていました。

 

 

 

現状

回復する決心をして、回復施設につながり、お酒をやめて3年がたちました。 最初の1年間は離脱症状で苦しんだり、何度もスリップ(お酒を再び飲んでしまう)してしまいましたがスタッフの方の支援が有り、今は落ち着いた生活が送れています。

 

今年から再就職も出来、お酒のない生活のすばらしさを日々感じながら生きております。

今は娘ともたまに会うことが出来、この生活をしっかり続けていこうと決意を新たにしています。